

028―キボウ
ブレンドンと過ごしたこの村での日々。
時には他愛のない会話をして、時には僕の憶測を真剣に聞いて貰えた。
彼は常に皆から頼れるリーダーを演じ続けた。
ブレンドンは冷静沈着で、未来のためなら自分の命でさえ厭わない科学者の鑑だった。
最後まで僕の理想的な科学者だった。
まざまざと瞼に浮かぶ光景の数々。
「にーちゃん……」
そんな光景と目から零れる感情の結露が僕の視界を遮る。
ブレンドンは僕らの未来のために、希望のために最後まで科学者に徹した。
それなのに僕は、
「クソッ!……くそやろう……」
逃げ続けた。
言い訳をして、自分にできることはないと簡単に諦めて、悲観して。
尊敬する師が死んでしまった悲しみに、過去の自分に対する後悔に、抑えきらなくなった水滴が目から零れていく。その雫が頬を這い、手に持つブレンドンの便箋に、ぽつりぽつりと落ちていく。
インクは滲み、その原型などとうに崩れていた。
「……ブレンドン」
ブレンドン、駄目だ。
僕には重すぎる。
この村を救うなんて無理だ。
僕には皆の希望を背負えない。
アンジョーを殺した。
そしてブレンドンまで僕は。
議論で皆を説得することもできた。だというのに僕は、死を恐れてその一歩が踏み出せなかった。
僕は自分に自信がない。
嫌なことから逃げ続けた代償だ。現実世界から目を背け、宇宙という神秘に逃げた。
「……どうすればいいんだ」
無理だ。
誰一人として僕は救えない。
「僕じゃできない」
僕には無理なんだ。
「なぁ、にーちゃん」
マドハンの声。
「完璧な人間はいないんだよ」
完璧な人間はいない。
強い人間はいない。
そうだ僕らは皆、弱い。弱くて、脆いんだ。儚くて、すぐに壊れる。
「誰だって失敗するし、逃げたくなることもあると思う」
僕は逃げ出した臆病者。失敗者。最低のくず野郎。何もできない。何もやれない。
僕は――
「だから、だからこそ、少しずつ前に進んで行けばいいんだよ」
俯いていた顔を上げ、マドハンの温かい笑顔が見えた。
凍り付いた僕の心を溶かす春の木漏れ日のような笑顔。決して眩しくなく、僕の全てを包み込んでいく温かさ。
「……マドハン?」
暗く、冷たい僕の心に光が差す。
希望の光。
「それにおれだっている。一人じゃないんだぜ。にーちゃんは」
ブレンドンの残した希望を背負えるのだろうか。
皆の期待に応えることができるのだろうか。
最初の一歩を踏み出せることができるのだろうか。
前を向いて歩いていけるのだろうか。
頭の中を渦巻く不安や恐怖は消えることはない。
後悔も悲しみも頭の中を離れない。
それでも目から零れていた涙はとうに晴れていた。
意識が少しずつ沈んでいく。目の前の少年の温もりに触れて、僕は赤子のように眠りに落ちた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
窓から陽光が差す。
時刻は朝七時。
堅い床で寝ていたせいか、背中が、
「痛い」
欠伸と共に、本日最初の一声が出る。
ベッドを見ると、呑気に小生意気の少年マドハンが寝ていた。深夜の一件を思い出して、僕は今の状況を理解する。
「起きろ。マドハン」
僕はベッドですやすやと寝ている生意気な後輩を無理やり叩き起こす。
「……ん。とうさん、それたべものじゃないよぉ、ばくはつするぞぉ」
何を言っているんだ。
昨日、正確に言うと今日だが、あの勇ましさが嘘みたいだ。
マドハンらしいと言えばマドハンらしいが。
「ありがとう」
思わず口に出てしまった感謝の気持ち。
今しか言えない僕の本心。
面と向かって言ってしまうのが恥ずかしい僕の本音。
「何言ってんだ?」
「それは僕のセリフだ」
マドハンは身体を伸ばし、朝の新鮮な空気を体内に取り込む。
「おはよう、にーちゃん」
「おはよう」
僕はリュックから残り少ない栄養機能食品を取り出す。
「ほら、これでも食べな。これから作戦会議だ」
僕たちは必ず勝たねばならない。よく食べ、良く頭を働かせることが勝つための重要なステップ。
水のない水車は回らないのだ。
「とりあえず僕は今から、今日の犠牲者を確認した後、応接間に行く。マドハンは
この部屋で待機していてくれ」
「大丈夫なのか?」
マドハンから僕に対する心配がその発言から見て取れた。
大丈夫とは、今日の犠牲者ブレンドンの死体を確認しに行くことだろう。
「大丈夫だ。もう僕は迷わない」
ブレンドンの託してくれた希望を僕は決して絶やさない。
希望は必ず前に進む。
僕はもう後ろを振り返らない。ゆっくりでいいから、僕は前を向いて進みたい。
「そっか」
マドハンは僕の様子を見て、納得してくれる。
「辛かったらまた泣いていいんだぞ!」
エッヘンと胸を張るマドハン。この少年らしい無邪気さに僕は救われたのかもしれない。
僕は軽く身支度をして、部屋のドアを開けようとドアノブに手をかける。
「ちょっと待った、にーちゃん」
マドハンはポケットに入っていたしあわせの石を取り出す。
「これ持っててくれ。できればこのゲームが終わるまで」
マドハンの覚悟。
今までマドハンが誰にも見つからなかったのは奇跡に近い。この石は彼にとっての生命線だ。
「いいのか?」
「うん、いいんだ。おれは何をやったってこのゲームに参加できない。だけどおれもみんなの力になりたいんだ!」
人を信用するのが苦手だった。
過去の自分が、記憶が僕を疑心暗鬼にした。
僕は信じたいと思ったことを信じると言ったミラのように強くはない。
目の前の少年は僕を信じてくれている。
だから僕も彼を信じたい。
「ありがとう、マドハン」
僕はマドハンからしあわせの石を受け取る。
「その石があれば何でもできるってわけじゃないけど、運が味方についてくれる。それに襲撃だって防げるかもしれない」
僕はドアを開け、
「それじゃあ行ってくる」
「おう!」
僕は一歩踏み出す。まだ足元はふらついて不安だけど、正真正銘、希望の一歩を僕は踏み出した。
アンジョー、リーナ、クレトン、そしてブレンドン。
死んでしまった皆のためにも僕は行く。
――ここからが希望の始まりだ。
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