

026―ゼツボウ
「議論の時間は終了だ。それでは投票を始めよう」
黒い外套が議論の終了を告げる濁った重低音を食堂に響かせる。黒い外套は昨日と変わらぬ用紙を僕らに配り、元の位置に戻っていった。
「昨日と同じ三分だ。よく考え、悩んで書きたまえ」
僕が書く人物は決まっている。
フセインだ。
この投票結果によって人間側の勝敗は大きく変わる。
フセインに三票集まるのは確実だ。僕とブレンドンとクレトン。
対してクレトンへの票は二票が確実。フセインとその相方の宇宙人だ。
残りの票を多く集められた方が勝利だ。ミラ、ハリム、マイア、ガレンの中の人間票の三票が僕らの雌雄を決する。
しかし、手ごたえは全くない。
半透明の球体の一件後もフセインにマウントを取られ続け、僕が抗う機会は一度としてやって来なかった。
他の皆も書き終えたようで、黒い外套はその用紙の回収に向かった。
「それでは投票結果を発表する」
緊張の瞬間がやって来た。
「三票フセイン、四票クレトン。今日の追放者はクレトンだ」
負けた。
三人の人間の内、二人がクレトンに票を入れてしまった。一人は無効票。
僕らの惨敗だ。
「あっッはッははっはっはっは! 最高に愉快だぁ」
凍り付いた空気の中、突然笑い出したフセイン。ポケットから半透明の球体を取り出し、足下にゆっくりと置く。
そして踏み砕いた。
「こんな小細工に騙されちゃって、ほんとに馬鹿だよなぁ。タイミング図って光らせているだけなのに。嘘に決まってるよなぁ!?」
フセインの甲高い声。
遂に本性を現した。クレトンは皆を煽るように、嘲るように笑う。
「なぁ、クレトン。今どんな気持ち? 僕はねぇ、最ッ高に気持ちいいよォ、あっハッァ」
「てめぇ、ふざけやがって! ぶっ殺してやる!」
クレトンは激昂する。
そして怒りに任せてフセインに殴りかかろうとする。
「おっと危ないねぇ。ぶっ殺されるのは僕じゃなくて君、君なんだよクレトン」
フセインが華麗にクレトンの一撃をかわす。
「暴力は禁止だ」
黒い外套はクレトンに向かって、あの近未来銃の引き金を引く。
銃と言っても発砲音や銃口から弾が出ている訳ではない。
銃口からは目に見えない何かが音もなく発せられる。
クレトンは眠るように倒れ、そのまま地面に這いつくばった。
「その男を運んで昨日と同じ屋敷外の花壇に来い」
僕らは黒い外套の先導のもと、ゆっくりと屋敷の外へ向かう。
薄気味の悪いテノールの笑い声と共に。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
クレトンが目を覚ましたのは、ブレンドンが彼を担ぎ上げ、花壇に連れて来た数分後だった。
目を覚ましたばかりの彼はこれから自身に起こる悲劇をまだ理解できていなかった。
「ん? 何だここ?」
クレトンは周りを見渡し、その状況を徐々に理解する。表情はより怪訝に、怒りに、そして悲しみに埋もれていく。
「今から殺されるのですよ、あなたは。アッははッはぁぁ」
そこには今から人が殺されると言うのに、場に合わない甲高い笑い声が一つあった。
「もうよせ。フセイン」
ブレンドンがフセインを制止しようとするが、
「おやぁ、負け犬のブレンドンじゃないかぁ。どうした?」
フセインが更に煽る。
ブレンドンも僕ももはや彼に対する憤りはなかった。今あるのはこの男に弄ばれたという敗北感ただそれだけだった。
「今から処刑を開始する。ブレンドン、準備はできたか?」
「ああ、もうすぐだ」
ブレンドンは今黒い外套から渡された貫通力のない丸みを帯びた弾丸をその銃に詰めている。
それでもブレンドンの動作には戸惑いが見えた。
目の前にいるフセインは確実に人間であると僕らは知っている。そんなブレンドンの様子を見て、黒い外套はブレンドンに念を押す。
「わかるな?」
ブレンドンは苦渋の選択を呑み込む。
僕らは黒い外套には逆らえない。
あの得体の知れない武器とその効果を見てしまったら、そんな気は嫌でも薄れる。
「ふざけるな! どうして俺なんだよぉ! 嘘だと言ってくれよぉ」
クレトンが最後の抵抗を見せる。僕らは今から確実に人間だとわかっているこの男を自らの手で殺さなければならない。あまりにも非道すぎる。
「ワシらも本当はお前を殺したくはない」
ブレンドンは守り切れなかった目の前の存在に銃口を向ける。これがどんなに屈辱的なのかはわかっている。
ただ僕らはそうするしかない。それが僕らが生きるためのルールだ。
「やめてくれぇ。まだ死にたくねえよぉぉ」
昨日の処刑風景とは随分かけ離れている。いや、これが普通の人間の反応なのだ。銃口から向けられた殺意に怯え、その動かない脚を必死で動かそうとする。
「うわあぁぁあ――」
パアァァァァン!
そして銃声が鳴り、その銃口から弾丸が放たれる。
流れる鮮血。
人が死んでいく様を見るのはこれで二度目。
死体も合わせると三度目だ。
多少の不快感はあるものの、二度に渡る異常体験で僕の身体も精神もこの光景に順応してしまった。
しかし、今あるのはそんな感情ではなく、僕らの勝ちが消え去ってしまったという敗北感と屈辱だった。
パアァァァァン!
そして二度目の銃声音。
今度はこの死にかけている男を確実に殺すための、慈悲の弾丸だ。
僕らにできることは、間違えてしまったその代償として、少しでも苦しみを和らげてあげることぐらいだ。
「宇宙人さえいなければ……クソッ!」
ブレンドンはそう叫ぶ。
そしてその声と重なるように、フセインの気味の悪い笑い声も聞こえる。
「今日、襲撃されるのはあなたですねぇ。ブレンドンさん」
処刑が終わり、一人ずつ淡々と屋敷へ戻っていく。最後に残ったのは、僕とブレンドンだけだった。
「済まない、シャディ。こんなことになってしまうとは」
「いや良いんです。ブレンドンさんは最後まで精一杯頑張ってくれました」
そう言って僕もブレンドンも屋敷の自分の部屋へと戻っていく。今日はもう寝たい。寝てこんなこと忘れてしまうのが、一番いい。
僕は部屋に戻った後、そのままベッドに倒れ込む。今日、襲撃されるのは確実にブレンドンだろう。僕は明日も生きられるという一時の安堵と共に眠りについた。
結局、僕は弱い人間だった。
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