

007―カオ
屋敷の内装は凡庸な言葉ではあるが、豪華という一言に尽きる。
少なくともゴーストタウンと言われて想像するような幽霊屋敷ではない。
玄関を通った先にある大きなエントランスには、絵画や花の装飾で煌びやかに彩られ、頭上には豪華絢爛なシャンデリアがある。
しかし電気を使うようなものではなく、昔ながらの蝋燭を使った物であるため、灯りとしては少し心もとない。
もとより、この村には電気は通っていないので、そんな心配はする必要ないが。当然、水道も通っていないので、自分で汲みに行くしかない。
「おお、君がジェイコブお墨付きのシャディか」
ドアが開く鈍い音を聞いて駆け付けたであろう目の前の男。
年齢は大体七十台くらい。
雑多に髭を生え散らかし、その髪はロマンスグレーと言えば聞こえはいいが、単純に加齢を放置し続けた結果なのであろう。
しかし元々美丈夫であったのは想像に容易く、その無造作な容貌もスパイスとして加わっているせいか、妙に洗練されている。
「初めまして、ブレンドンさん。C大学のシャディです。今回は誘って頂いてありがとうございます。微力ながら精一杯頑張りたいと思います」
電話越しでの会話以来なので、まだ余り人となりは掴めてはいない。懇切丁寧なアプローチを僕は心掛けた。
「そこまでかしこまらんでもな。知っていると思うがワシはブレンドンだ。君と同じC大学で教授をやっておったが、今は趣味でこんなことをやっておる。ジェイコブから君の話はだいぶ聞いたが、君は相当優秀らしいな。今回はよろしく頼む」
自己紹介で返してくるあたり、ブレンドンは格式高く、品のある人だ。ただ、残りの老後人生をそんな趣味に費やすところ、噂通りに彼は奇人と言えようか。
マスコミの謳い文句的には『情熱』、身内にしてみれば『奇怪』もいい所なのだろう。
「はい、お願いします」
「他の奴らもいるから、自己紹介しないとな。こっちに大きなダイニングがあるから来てくれ」
よくフィクションでみるようなダイニングルームだ。円状のテーブルが椅子で囲まれている。エントランス同様、絵画や花、シャンデリアによる装飾も怠ってはいない。
そんなダイニングには、多種多様な人物が集まっていた。
額に深いしわが入った白髪の目立つ老婆。
柔らかな印象の茶髪の女性。
他人を気にもしていないような派手なカップル。
ミステリアスな雰囲気の黒髪の女性。
身長が二メートル近くはありそうな大男。
絵画など装飾品を訝しげに見る頭ボサボサの小汚い男性。
僕がこの部屋に入ったことで、視線が一気に僕と隣にいるブレンドンの許へ集まった。
「みんな集まっているな。こいつはシャディ。ジェイコブの代わりにやって来た優秀な学生だ。みんなよろしく頼む」
視線が極端に集まって、緊張してしまう。てっきり、この村に足を踏み入れるまでブレンドンと二人での調査だと思っていたので、ここまで大所帯になるとは想像できなかった。
「あ、……シャディです。よろしくお願いしマス」
緊張して口から思うように言葉が出ず、詰まってしまった。静まり返る食堂。
昔からひとつのことに専念してきた弊害だろうか。学校での自己紹介やスピーチなど大勢の前で何かを喋ろうとすると、頭が真っ白になってすぐにどもってしまう。
頭では沢山のことを考えているのに、そのことをいざ口に出そうとすると出なくなってしまう。
二人きりの会話なら上手くいくのだが、大勢の前では上手くいかない。
「それじゃあ、今日はみんな移動で疲れたからな、あとは好きにしてくれ」
そうしてここにいた皆は各々解散していった。
さっきの失敗を取り戻すためにも、ひとりひとりにもう一度挨拶でもしていこう。
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「これで全員終わったかな」
太陽が沈みかける黄昏の時間帯。
この村の中央にある広場のベンチに座って腰を落ち着かせる。ここに来るまで、自己紹介を兼ねて今回一緒に調査をする仲間たちに挨拶をしに行っていた。
一人目は、老婆。名前はステラ。年齢は八十から九十ぐらいだと思う。
このメンバーの中で最高齢であるのは間違いない。
ステラはこの村に行く途中に通りかかった町に住んでおり、この村の噂のことを知っていた。理由はわからないがステラは時々、屋敷の掃除など管理をしていたそうだ。
NASAがステラの行為を止めていなかったのは、あの屋敷の文化的な価値を認めているからなのだろうかと勝手に推測する。
屋敷の中があそこまで綺麗だったのはこのステラのおかげだった。
今日は孫娘と共に屋敷の掃除していたところ、たまたまブレンドンたちと遭遇し、この村の調査に協力することになった。
二人目はその孫娘の茶髪少女。名前はミラ。年齢は僕より少し幼いくらいで、高校生だ。
生まれてすぐに、両親が亡くなったらしく、ずっとお祖母ちゃんっ子だったそうだ。この村にやって来たのは祖母ステラの反対を押し切ってのことらしい。
彼女は本当にステラのことを慕っているようだった。
僕が来る前に一度町に戻り、大量の食材を買い込んで来てくれたようで、僕たちのために料理を振舞ってくれるそうだ。
自信誇らしげに語っていたので、料理は得意なのだろう。
ちなみに僕たちは一週間ほどの滞在を予定しており、当初は近くの町での寝泊まりを想定していたが、あの屋敷が想像以上に綺麗だったので、各々屋敷に割り当てられた部屋で寝泊まりすることになった。
電気も水道も通ってはいないが、快適な暮らしができそうだ。
電気、というより食事に関してはガスで賄い、水道は、橋の真下に広がっていた清流まで下り、大量の水を汲んできて、タンクやペットボトルに貯水してある。
三人目は黒髪ミステリアス。名前はマイア。年齢は二十台前半。
屋敷の中にあった書庫で、昔から有名な青年向けのファンタジー小説を読んでいたところを見かけ、声をかけた。
初めて知ったのだがブレンドン主催のサークル、というより同好会の中の一人で、宇宙を舞台にしたSF小説を書いているそうだ。
ブレンドンは時折、こういった同好会のメンバーを連れて、色んな町やら現象を調査している。
マイアは物静かだが、僕のような人付き合いが苦手という感じではなく、言葉を慎重に選び、きっちりと自分の意見を言えるような人だった。
四人目は大男。名前はアンジョー。年齢は二十代後半で、立派な社会人だ。
僕が屋敷の外へ向かおうとしていた時に、エントランスの装飾をじっと眺めていた。物凄く集中していたので声をかけるのを躊躇ったが、それ以前に、男のがたいから来る圧倒的迫力に僕の小動物精神がひるんでしまった。
こちらも同好会の一員だそうだが、そこには幅広い年代の人たちが集まっているようだ。共通の趣味で人が集まれるのは、今までほぼ独り身だった僕からしては少し羨ましく感じてしまう。
アンジョーは、その図体から想像されるような血気盛んなイメージとは違った。むしろ誰よりも繊細で、虫の命さえ殺すのを躊躇ってしまうような男だった。見た目は怪物。心は純粋。
まるでフランケンシュタインのような男だ。いや、フランケンシュタインはマッドサイエンティストの方だったか。
五、六人目はあのバカップル。
屋敷の外。リアナ村の朽ち果てた看板の前で写真撮影をしていた。
笑顔の眩しい好青年がハリム。いかにも遊んでいそうな派手な女性がリーナ。
男の方は医学部に通うエリートだった。マイアやアンジョーと同様に、ブレンドンの同好会の一員で、今回の調査に参加している。
このハリムとは、意外にも話が合った。将来はNASAで宇宙医学の研究がしたいらしく、医学の知識にも、宇宙の知識にも精通している。ただの恋愛脳かと思っていたが、真面目で、普通に友人になりたいぐらいには良い奴だった。
問題は女のリーナの方だ。見た目は見るからに派手で、人のことは言えないが、今回の調査を旅行か何かと勘違いしている。リーナは同好会の一員でも何でもないらしく、ハリムの完全な付き添いだ。
僕がこんなにも不愉快な気分になっているのは、詰まるところ、リーナのような女性が苦手だからであり、恋愛脳が嫌いだからだ。
ボサボサ頭の男のところへ行こうとしたが、なかなか見つからず、その途中でNASA職員クレトンとその同僚らしき人物に会った。てっきり、NASAの人間はクレトン一人だけだと思っていたが、違ったようだ。
彼の名前はガレン。
クレトンの自分本位で、我の強い性格と違い、ガレンは飄々としていて掴みどころがない。会話中、常に笑顔だったが、それが薄ら笑いにも見え、どこか気味の悪い男だった。ただNASAの人間だけあって、発言から知的さも窺えた。
本人曰く、今回のブレンドンたちの訪問は学生時代を思い出すようで楽しいそうだ。
七人目ガレンとクレトンへの挨拶も終わり、屋敷へ戻ろうとした途中、村の広場を囲む一つの小さな家屋へ入ろうとしている八人目、ボサボサ頭の男を見つけた。
男の名前はフセイン。
驚いたのが、彼は同好会のメンバーでもなく、近くの町に住んでいるわけでもないらしい。フセインは独自の情報筋で、この村の噂を掴んでいたが、時折来る監視の目を恐れて、この村に入れなかったらしい。
しかし、偶然ここに来た今日、ブレンドンたちと出会い、ブレンドンの仲介を経て、この村に入ることが出来た。
神託ならぬ宇宙人託があって、ここにやって来たそうだが、この見た目から醸し出す雰囲気からフセインは頭のネジが一つ飛んでいるかもしれない。
フセインと話している最中、広場にブレンドンがいるのに気付いた。僕はフセインとの会話を切り上げ、最後にブレンドンの許へ向かおうとしたが、その前に確認しておきたいことがあった。
僕は自己評価が苦手だが、それでも自分の癖や習性、子供の頃からパブロフの犬のように刷り込まれたものは把握しているつもりだ。
僕は常に冷静でいるのが苦手だ。
より正確に言うと、僕の心胆は周囲の環境に過敏に反応してしまう。大勢の前で話すのが苦手なのはそれが原因だ。
僕は後ろを振り返る。
――屋敷を出た後から、無意識の内にストレスが溜まっていたらしい。
後ろには誰もいない。
――そのストレスが露骨に思考に出てしまった。
周辺を警戒し、聴覚を研ぎ澄ます。
――思考はより悪辣に。言葉に出なかったのが幸いだった。
聞こえるのは、小動物の鳴き声、風が吹いて木々が擦れ合う自然音。
そして、何者かが土を踏む音。
やっと視線の正体を見つけた。僕が歩を止め、急に立ち止まったことに、相手も戸惑ったのだろう、少しずつ土を踏む音が遠ざかっていくのがわかる。
今はまだ深く追う必要はないだろう。悪意のある視線ではなかった。居場所の特定もおそらく簡単にできるのだろう。
それに、僕も疲れた。
最後にブレンドンとだけ話して、部屋に戻ることにしよう。
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もう少しで夜が始まる。電気の灯りがないこの村の夜は本当に暗い。闇夜を照らす月明かりだけが唯一の安寧だ。
今は広場のベンチに座っており、隣にはブレンドンがいる。この村に来て、消化できない違和感が会話を通して、懸念に変わってしまった。
「ブレンドンさん、昼はすみません。列車での長旅に疲れて、電話に出ることが出来ませんでした」
ひとつひとつ懸念を解消していこうか。まず列車を降りて、ブレンドンから電話が三本かかっていた。これが意味するものは、
「あれは、迎えの電話だったのですね」
「ああ、そうだが。それがどうしたんだ?」
僕が勘違いしていたこと。地元の人たちがこの村の情報を知らないことをNASAによるものだと思っていたことだ。冷静に考えると、町全体の情報を統制するなんて不可能に近い。
「ブレンドンさんは僕がここに来ることができないと思っていたんですよね」
これはNASA職員から聞いた情報だ。町の情報規制は無理だが、村への入場規制は可能であり、現に今そうしている。
この情報は車を迎えに出そうとしたブレンドンなら知っている情報だろう。
僕の懸念が伝わったのか、ブレンドンは怪訝な表情をして僕に聞いてくる。
「ああ、今は秘密裏だがNASA職員の協力を経て、ここに来ている。だから、ワシの車かあいつらの車じゃないとここには来れないだろう……君はどうやってここに来たんだ?」
あと一つ。ステラに、ミラ。フセイン。彼女らは皆、
――偶然この村に来た。
同好会のメンバー、NASAの面々にも思い当たる何かがあるだろう。だからきっと、
「僕たち誰かに操作されていると思いませんか?」
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