

004―セットク
想像に想像を重ね、歩くこと数十分。気が付いたら、というより時や一歩一歩に意識が傾いていなかったからだろう。
いつの間にかジェイコブの研究室に着いていた。
僕は少し息を整え、ドアを軽くノックする。
「入りたまえ」
先生の如何にもな言辞が聞こえたので、丁寧にそのドアを開けた。
「失礼します。ジェイコブ先生」
彼らしく、教授らしく理知的な研究室。本棚には天体、宇宙物理学の書物以外にも一通りのジャンルが揃えられている。天体模型や天体図が並び、壁には小難しい計算式が書いてある。
しかしそれ以上に、目に付くのは、この部屋を埋める書類の山なのであろう。いつ見ても汚く、乱雑な部屋と言わざるを得ない。
ジェイコブは器用な人間ではないのだろう。理系の大学教授なんてどこもこんなものだ。
無論、彼以上に親しみのある教授はいないが。
「よく来たね、シャディ。そこにかけたまえ」
軽い一礼をし、先生の目の前の回転いすに腰を落とす。失礼に見られぬように、背もたれと体を平行に、腰を直角に意識する。
最も儀礼的な意味合いで、ジェイコブ自身も気にしてはいない。
「それで先生、NASAの秘匿情報とはなんでしょうか?」
世間話などはせず、気になっていたことを単刀直入に聞く。そうせざるを得ないほど僕の脳内を、彼の言葉が駆け巡っていた。
「少し前、ここにいたブレンドン教授は知っているかい?」
ブレンドン教授。たしかジェイコブが准教授時代の教授だったはずだ。直接会ったことはないが、論文を少し見たことがある。かなり破天荒で、奇抜な方らしい。論文にもその傾向が存分に発揮、いや露出していた記憶がある。
「はい、少し風変わりな方だと心得ています」
「そうか、知っているのか。概ねその解釈で合っているよ。そのブレンドンの古くからの友人がね、この間NASAを退職したらしいんだ」
NASA、退職。なるほど、秘匿情報の出所はそこか。元NASAの職員とは言え、そんなことしてよいのだろうか、という疑問は当然のように残るが。
「ブレンドンが退職記念にとNASAの秘匿情報をせがんだらしいんだ。年を取っても相変わらず可笑しい人だ。まさに教授の鑑だよ、あの人は」
「そんなに凄い方とは思いませんでした」
勿論、皮肉だ。
「必死の説得にその友人も心が折れたらしくてね、何とか面白い情報が手に入ったみたいなんだ」
「なるほど」と相槌を打ち、疑問の一件を解決する。
そうなると更に秘匿情報が気になってしまうのは僕だけではないはずだ。
NASAは遂にフリーエネルギー装置を完成させたのか。
軍事衛星や電磁波兵器でも開発させたのか。
宇宙人関連なら、やはり地球外生命体と密約でも交わしたのだろうか。
好奇心が留まることなく、際限なく思案を巡らす。
そんな脳の条件反射に反応して、僕は答えを催促してしまう。
「どのような、情報ですか?」
ジェイコブは僕の催促を悟ったのか、軽く微笑みの表情を浮かべた。
「おそらく、君が期待しているほど凄い情報じゃないと思うよ。とある村の情報なんだけどね。昔は鉱山運営で栄えていた『リアナ』という田舎村なんだが、ある日を境に急に人がいなくなったんだ」
この国にはいくつかゴーストタウンと呼ばれる町がある。環境破壊や戦争、自然災害などの理由で住人が退去した町だ。リアナという地名は聞いたことないが、そのゴーストタウン内の一つだろう。
――ただ一つ引っかかる点はあるのだが。
「神隠しですか?」
「そうだ。まさに神隠し。政府の発表では、鉱山の閉山によって人が消えたことになっているがね」
鉱山の閉山による住人の退去はよくある話だ。町の収入が減り、町人の働く場がなくなる。環境汚染という理由もある。
「でもどうしてその情報がNASAに?」
「神隠しの起こる前に、この村で多数のUFOの目撃情報があったらしいんだ。中には宇宙人の目撃もあったらしい。これが何を意味しているか君ならわかるね?」
「キャトルミューティレーション……」
僕の脳内に浮かんだキャトルミューティレーションという言葉。
キャトル、すなわち家畜の惨殺体や内臓だけが抜き取られた変死体が見つかったり、または家畜が突然消えたりした七十年代に全土で話題になった現象だ。しかしあれは単なる野生動物による捕食によるものではなかったのか。
――それに人。もしこの話が本当なら全土が、いや世界中が混乱になるに違いない。NASAはこんな情報を隠していたのか。
「キャトルミューティレーション。正確には、ヒューマンミューティレーションだ。私とブレンドンは今、そのリアナ村を調べている。実はこの夏にリアナ村に行こうとしたんだがね、どうも別件の論文の整理やら家族旅行やらで忙しくなってしまったんだ」
ジェイコブはここからが本番だと言わんばかりの真剣な表情をつくり、僕にその言葉を放った。
「――君が私の代わりに行ってくれないか?」
僕は少し考えた。
本当は物凄く行きたい。すぐに、「はい」と言ってしまいたい。だけど僕にそんな役割が務まるのだろうか。講義中に居眠りするような僕だ。
それにあの著名なブレンドン。人となりもよくわからない上に、ジェイコブが変人と言ってしまうような人だ。
どうもこの提案は僕には荷が重い気がする。
「どうして僕なのでしょう?」
ジェイコブの真っ直ぐな双眸が僕の眉間に刺さる。
「前から思っていたんだが、君は自身を過小評価する癖があるみたいだね。なぜ僕が君を選んだか教えてあげよう。それはシャディ、君が私の生徒の中で一番優秀だからだ」
喜色が表情に漏れてしまうのを僕は抑える。
僕にはそんな大役務まらない。
「他にも優秀な人はたくさんいます。ジェイクはどうでしょう。彼はとても優秀で、それに友達だって多い――」
「駄目だ。君が行くんだ。今回、ブレンドンには一番優秀な生徒を連れて行かせるといったんだ」
「でも――」
「でももだってもない。私が行けと言ったら行くんだ。いいね?」
ジェイコブの半ば強引で、必死の説得。
ここまで真剣な表情は久々に見る。それは僕の内心をジェイコブは知っているからだ。
――僕が誰よりも好奇心強い人間だと、誰よりも神秘を追い求めている人間だと。
僕が内面に隠しているものをジェイコブは知っている。
二十秒ほどの沈黙後、静かに口を開くことにした。
「わかりました。僕が行きます」
僕の決心にジェイコブは頬を緩ませる。
「よく言ってくれた。それでも遅い決断だ。君はもっと自分に自信を持った方がいい。講義中、居眠りはするが、誰よりも勉強熱心だ。キャンパスで見る君は誰よりも輝いている。それにただ君が優秀だから連れて行かせるわけじゃない。シャディ、君はブレンドンとよく似ている」
褒めてもらったのか貶されたのか。僕は眉根を寄せる。僕を暗に変人だと揶揄しているのだろうか。
そんな僕の心の声を読み取ったのか、「いやいや、君を変人だと言っているわけじゃないよ」そう気さくな笑みを浮かべながらジェイコブは答えた。
「確かに君は常人と少しずれている気もするが、そんなことはどうでもいい。その宇宙に対する人一倍の熱意がブレンドンと似ているんだ」
ジェイコブは更に言葉を続ける。
「あとそんなに気負う必要はない。私はブレンドンに付き合わされているだけだが、この件は完全にプライベートだ。夏休みの軽い小旅行だと思ってくれればいいから、気楽にな。君はいつも葛藤している。弱い自分と強い自分に苛まれているみたいだ。今回の調査で自分と戦って来なさい。ブレンドンはそれを君に教えてくれるはずだ」
そのあともジェイコブの説得が続いた。
ジェイコブは僕が信頼している数少ない人物で、僕以上に宇宙に対する熱意のある人物だ。そんなジェイコブから優秀だと言われ、僕は珍しく舞い上がっている。
弱い自分から脱却するチャンス。
この夏だけは胸を張って、
――強い自分でありたい。
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