

第四話――独白、私が私であるワケ
子供の頃、私は完璧であることを強いられた。それは
父親は国内でも有数の名家・奈月の現当主。祖父から受け継いだここら一帯の大地主であり、市議会議員として市の運営にも携わる典型的な権力者だった。
対して母親はかつてコンクールを総なめにしたピアニストだった。
決して普通とは呼べない、それが私――奈月彩華に完璧を強いた家族だった。物心が付いた頃には、私には自由がないのだと悟り、そして何時しかそれが当たり前となって、私自身完璧であることに
父親は私に家督を継承させるために帝王学を学ばせた。義務教育科目は当たり前のこと、法律、経営、果ては体調を崩すことは言語道断とスイミング、体操、その他球技等の教室に通わせた。
母親は人並み外れた芸術感を持っていたために、ピアノを始めとした音楽、絵画を始めとした美術を私に学ばせた。また母親は徹底的に〝心〟を教え込んだ。奈月家として相応しい立ち振る舞いを叩き込み、反対に相応しくないと感じたものは独断で排除した。ゲームは当然のこと、数少ない友人でさえ時には排除された。
そうして年齢が十を超えた頃には、おおよそ完全無欠とも呼ぶべき人形が誕生していた。私は結局、奈月家の道具にしかなれないとその頃には悟っていたが、心は痛くもなかった。
十の成果が求められれば百で返す、そうすれば誰もが完璧だと私を
しかしそんな完全無欠の殻に大きなヒビが入る事件があった。そのヒビが私にコンプレックスを生み、秘密を生んだ。
事の発端は父親の兄の娘、つまり私の従姉妹の
しかし父親は実力を
その殆どが勝負にもならない形で私の圧勝だったが、ある一点において私は初めて敗北を思い知った。
当時インターネットも本も自由に与えられていなかった故だとも、彼女が特別早熟だった故だとも言えた。ただそんな理由はどうだっていい。そのたった一つの敗北が、完璧主義の私を打ち砕くような、大きなコンプレックスを生んだ。
彼女は〝女性にとって一番大切なものは何か〟と私に問うた。母親から心を教わり続けた私は真っ先に、『気品』であると返したが、彼女は否定する。
次に私は『美貌』と返したが、彼女は再度否定した。『財力』、『頭脳』、『運動能力』、何を言っても、全て否定された。
『それは私が持っていて、あなたにはないモノなの』
私は生まれ以て完璧を強いられた。そして私も完璧を貫き続けた。文字通り、私は完全無欠だったはずだ。
そんな私に足りないモノがあるのか?
従姉妹の突飛な発言に、確かに私は苛立っていたのだ。
『教えてあげる。女性にとって一番大切なのはね――包容力なの』
過ちや欠点を含めた、相手の全てを受け入れる心の広さ。
私にはそれが足りないのか?
『あなたは自分が完璧でいるために他人を蹴落としてきた。あなたにとって、他人は結局、道具でしかないの。もちろんあなた自身もよ』
それの何がいけないのか。私には理解できない。この世界は資本主義なのだ。持つ者が持たざる者を利用して何が悪い。
『あなたはこれから先、誰かを受け入れることなんて絶対にできない。包容力とは優しさ、包容力とは母性。心を持たないあなたには一生わからないことよ』
優しさ? 母性? それがないから私は完璧でないと言うのか。
『でもそれはあくまでも心の中のお話。大切なのは表面上、というより体格上の自分なの。だって心なんて簡単に覆い隠せるでしょ?』
体格上?
『世の中の男性は、女性の包容力をどこで判断するのか。頭の良いあなたなら当然わかるでしょ?』
顔? 眼? 口? わからない。そんなこと父親からも母親からも教わったことはなかった。
『答えは――胸よ』
胸。乳房。哺乳類の雌が生まれたばかりの子供に栄養源を与える器官。
疑問。その解の意味が私には理解できなかった。
意味がわからなくて、私はそっと胸に手を当てた。いつも通り、平らで何の面白みもない小さな胸。
意味がわからなくて、私はそっと彼女の胸を見た。いつも通り、同年代の女子と比べると圧倒的に大きくて、柔らかそうな大きな胸。
違いは明確にあった。
『そう。あなたは完璧じゃないのよ。誰かを受け入れることのできないその心も、そしてその小さな胸もね。あなたには全く以て包容力が足りないもの』
完璧じゃない。私の存在理由を否定する短いセンテンスだった。人は何か新しい価値観と相対した時に、心の中で何かが壊れる音がしたと言うけれど、私の場合は真逆だった。
何かが造られる音がした。完璧でない本当の私を雁字搦めに閉じ込める巨大な壁と鎖。そして、私が完璧であることを証明する新たな虚像。
『せいぜい頑張ってね、綺麗なお人形さん』
なるほど。これは簡単なことだ。
彼女は確かに言った。大切なのは表面上、そして体格上であると。ならば偽ればいいのだ。私の力があれば何だってできる。自分に嘘を吐くことなど造作もない。
完璧でない私など私ではない。
だから私は嘘を吐いた。誰かを受け入れる心、そしてその象徴とも彼女が言う胸を、私は偽った。演じた。
そしてこれからも吐き続けるのだろう。
最早私には自分を変えるほど強い意志も残っていなかったのだ。
§ § § § § § § § § §
〝奈月彩華が一週間ぶりに登校した〟
校舎の玄関口で彼女の姿を確認した生徒の一人によってその噂は瞬く間に広まった。
奈月が学園から消えたこの一週間とは何たるか。立宮はその影響力の大きさを直に感じ取っていた。
例えるならそれは、楽しみにしていた遠足が雨で潰されてしまったような、あるいは信仰を続けていたアイドルに熱愛が発覚してしまったような、そんな喪失感にも似た重々しい空気だろう。
噂によれば、奈月は親と海外旅行に行っていたとも、親族が亡くなったとも、言われているらしいが、そのどれもが現実とは違った。
立宮は自分一人だけが知る奈月彩華欠席の真実に、小さな溜め息を漏らす。
(よもやここまで大きな事態になるとは。乙女とは何とも
立宮は奈月を侮っていた、油断していた。確かに奈月の持つ天性の美貌も、それを後ろで支える知能も、運動能力も、美的感覚も、立宮が一級品だと断じることのできる代物だ。
しかし彼女にも並の人間と同様に、苦悩という感情を抱えていたらしい。いや隠していたと言うべきか。それを立宮は理解することができなかったのだ。
(いやもっと早くに気付くべきだった)
嘘を吐くという行為は立宮にとって忌むべきものだ。しかもそれが己の信仰して止まない豊満ともなればなおさらだ。だからこそ嘘を吐き、自らを偽る奈月の罪は、決して許せるものではない。
しかし紳士を名乗る立宮が最も忌み嫌うものこそ、〝女性を傷付ける〟という行為そのものだ。立宮は静かに猛省する。この一週間の奈月の不在は、立宮の許に確かなわだかまりを残していたのだった。
奈月彩華の抱える苦悩。それは彼女の持つ偽の豊満とそれを裏付ける彼女の心。
朝一番に流れたその噂は、放課後に至るまで、立宮の心中をむざむざと蝕んでいった。
やがて立宮は席を立つ。担任の挨拶が終わり、クラスの皆が各々の向かうべき場所へ向かうそんな時間。学生らしく教科書やノートを詰め込んだ鞄を背負い、立宮もまた家路へと向かっていた。
しかし下駄箱の取っ手を掴み開け、靴に手を伸ばそうとしたその瞬間、ある一枚の手紙に気付く。立宮は手紙を手に取り、まずはその差出人の名前を確認しようと手紙を裏に返すも、どこにも書かれていない。
ただそうであっても、容易に想像することができた。
〝思えば彼女との出会いも手紙からだったか〟
そうして立宮は手紙を開封する。
『この後、体育倉庫まで来てください』
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