

第三話――とある放課後、完璧巨乳少女の憂鬱
根本的に立宮篤人と奈月彩華はクラスが異なる。故にこの一週間、立宮の身に降りかかった災厄(他の生徒からすれば幸運そのものなのだろうが)を単なる偶然として片付けてしまうことは不可能なのである。
その災厄、話せば長いことになるのだが……。
「なあ。あっつん。奈月に何やらかしたんや?」
相田は渦中の立宮に質す。〝何やらかした〟と聞く辺り、立宮に全面的な否があるとでも思っているらしい。
「無論、私は何もしていない」
「とは言ってもよ……ほら」
真っ向から否定する立宮に対し、竹口は口を開く。「ほら」という言葉と共に、右人差し指をくいと曲げた。
「おいおい、ホントに何もやってねえのか? アイツ怒ってんぜ」
竹口の指し示す先、廊下に面した窓ガラス越しに巨乳美少女、奈月が何やらぷんぷんとひどく機嫌が悪い様子で立っていた。
事の始まりは立宮と奈月が接触したあの日の翌日。
それは奈月の些細な
今まで出会って来た人間の中で、おおよそ奈月のことを好きでない人間などいなかった。それは奈月の自信過剰から生まれた慢心ではなく、単なる事実を述べたまでだ。
それほどまでに奈月という少女は天恵とも呼ぶべき美を携えている。
正しく奈月は自他ともに認める美少女だ。
だからこそ奈月は初めて立宮という奇人に憤りに近い何かを感じた。〝どうして彼は私になびかないのか〟そんな疑問が奈月を走らせ、手紙のお礼をと立宮のいる教室に参上したのが、ちょうど先週のこと。
『立宮くん、』奈月は端麗な微笑みと共に、透明な響きを堪えた美声を発し、『昨日は手紙を拾って頂きありがとうございます』そう深くお辞儀をした。
〝私がここまでしているのだから、流石の彼でもイチコロよね〟小悪魔然とした心の声を喉元まで抑え、勝利の確信をするように再び奈月は微笑んだ。
『そこでお礼がしたいのですが、この後お茶でもどうですか?』
奈月をそこまで言わしめる人間は立宮が初めてだった。異常なまでにモテる人生オールモテ期の奈月でもとある事情から恋愛経験はない。
勿論、立宮に対し奈月は一切の恋愛感情を抱いていないのだが、自らの矜持を保つために、そこまで言う必要性があったということらしい。
奈月にとって愛されるとは自己の存在証明に他ならない。立宮の存在は端的に、人生を生き抜く上で障害でしかなかったようだ。
「確信はこれと言ってないのだが。強いて挙げるのなら……お茶の誘いを断ったことぐらいだろうか」
「は!? 誘われてること自体驚きなんやが……え、まじで断ったん?」
「ああ。そうだとも」
「うわぁ、絶対それだぜ。奈月すげえプライド高そうだもん。そりゃ根に持つわな」
奈月は立宮の断りを聞いてから、しばらくは放心状態だった。断られること自体が彼女にとっては異例でしかないのだ。
それが一般的な生徒ならば、『え? 本当ですか? ぜひ行きたいです。むしろ行かせてくださいお願いします』と言って土下座しながら頼み込んでいるところだろう。
あるいは、『家族との約束があったんですけどその家族は今さっき亡くなりました。さあ行きましょう』と遠い空に浮かぶ家族の蜃気楼を背に奈月の手を引くところだったのだろう。
それから一週間、奈月がXデーと呼ぶその日の屈辱を忘れまいと次々に彼女は攻撃を仕掛けた。あるときは立宮の前でハンカチを落とし、それを拾わせたり。あるときはそんな落とし物の拍子に軽いボディタッチを混ぜて見たり。あるときは立宮の前でわざと転び、スカートを少しばかりはだけさせてみたり。
奈月は立宮に恋愛感情を抱かせるため、この一週間全力を注いできた。しかしながら一度として立宮がなびくことはなかった。
その視線はいつも通り
「おい、奈月がこっちに来るぜ」
立宮は竹口の言葉と同時に、奈月の許へと視線を滑らせる。どたどたというオノマトペが生まれても可笑しくはないほどに、おおよそお嬢様のイメージとはかけ離れた大股でこちらへ向かって来る。
「た、立宮くん?」語気は荒く、右肩上がりに。表情にはひきつった笑みが浮かんでおり、平時のそれとは大きく違うことが読み取れた。
「放課後は暇よね暇でしょ? よければ……屋上に来てくれませんか?」
刹那の内に、教室は静寂に包まれた。それは告白前の文言と酷似しており、というかそのものである。
しかしその告白が男女交際を申し込む例のあれであるのか、教室に集まった皆は固唾を呑んで、彼と彼女の同行を目に焼き付けまいと目を見開いた。
「ふむ。いいだろう。しかしなるべく手短に済ませてくれ。学生という身分ではあるが、こう見えて私は忙しいのだ」
§ § § § §
雲の切れ切れから茜が差す屋上には、長く延びたシルエットが一つ。そのシルエットは金網に手を掛け、遠い空を眺めていた。
奈月は肌を触る
何をこんなにも緊張しているのか、奈月は不思議で仕方なかった。立宮に対し、特別な感情があるわけでもない。
彼に抱える唯一の感情は、嫌悪。
それは彼に存在理由を否定されたという八十パーセントの不愉快と、そんな彼を自身の魅力で見返してやりたいという十九パーセントの報復で出来ている。
何を話すか、何をさせれば彼が認めたことになるのか。そんなことを考える暇もなく、理性を通り越して感情だけがただただ身体を動かしていた。
今になってみれば、なぜああもムキになっていたのか、それすらわからない。しかし、それこそが残りの一パーセントにも満たない何かなのだろう。
漫然と頭に浮かぶ
「――悪いね。淑女を待たせてしまうとは。紳士の名が
「いえいえ、わざわざこちらがお呼びしたのですから。来てくれただけでも嬉しいです」
少しばかりの余裕が微笑みを生んだ。奈月は平時のお嬢様然とした態度を演じ、重厚なさび音を鳴らしやって来た立宮を笑顔で迎える。
極めて優秀な成績、他を優に凌ぐ運動能力、気品を感じさせる立ち振る舞い、しかし学園内でも悪名高い立宮篤人。
そんな随一の奇人と相見えた緊張が徐に、奈月の
「…………」
特別、コミュニケーションが苦手というわけではない。ただ言葉が詰まって何も出て来ない。立宮の怜悧な視線に晒されて、蛇に睨まれた蛙のように、固まることしかできなかったのだ。
「どうかしたかね。何か私に伝えることがあってここに呼んだのだろう?」
無情にも、立宮は奈月を急かす。視線の怜悧が更なる無言を生む。
「あ、あの…………」
「どうかしたかね?」
鼓動が秒針を追い抜かまいと、どくりどくりと血を速める。その度に脳内を白塵が覆った。
今一度、小さな深呼吸。
刹那、冷静になった頭が、
なぜ彼に振り向いて欲しいと私は思ったのか。――それは、完璧でなければならない私の存在をあの
なぜ彼を二人きりで屋上に呼び出したのか。――それは、私が私であるために、障壁でしかない彼を落としたかったから。
しかし彼は今も私を否定する。あの怜悧な視線が私を拒絶するのだ。
なぜなのか。どうしてなのか。私に接して来た人間は総じて私のことを好きになったというのに。なぜ彼だけは振り向かない。
押し留めていた感情が爆発する。彼と出会ったあの日から積み重なった苛立ちが、完全無欠の殻を破った。
「――はぁ。もういい」
お嬢様然とした立ち振る舞いは消え去り、奈月の中で渦巻いていた本性が顔を覗かせる。
「ねえ、あなたって。何者なの?」
しかし、そんな本性を晒した奈月の姿を目にしても、立宮は一切の物怖じをしない。何か強い意志に裏付けられた堂々とした態度だった。
「無論、私は私でしかないよ。君が君であるのと同じでね」
これ以上何も聞き出せない、と奈月は「あっそ」と話を切り上げる。しばらく沈黙が続き、再び奈月は口を開く。
「あなたは何も感じないわけ? 学園のアイドルがこんな姿を晒してて」
「ふむ。自ら学園のアイドルを称するとは、何とも君は自己評価が高いらしい。奥ゆかしき奈月嬢を崇拝する親衛隊とやらが知れば、がっかりしそうな発言ではあるがね」
奈月の小さな舌打ち。遠回しに、君の評価は低いと言われ、
「さて問われたからには返さねばならない。何も感じることがないのか? という質問だったね」
立宮は奈月の
「ふむ。多少は驚きはしたが、それ以上でもそれ以下でもなかった。私は――自らに嘘を吐かないよ」
もはや女性的に興味ないと言われても、苛立ちは湧いてこなかった。
奈月は〝嘘〟という言葉に、ぐっと握りこぶしを作る指を強めた。
それは何を隠しても無駄だと脳が無意識の内に判断しているからだろうか。やはり目の前の男には何もかも、たった一つの秘密でさえも露呈してしまっている。
「答え合わせをしよう。私には人を見る力はない。故に、私は豊満とあらば誰にだってなびいてしまう男だ。なぜならば、豊満こそ至高であり、豊満こそ救いであるからだ」
怜悧な眸が奈月の額を強く突き刺す。
「そして私は自らに嘘を吐く人間が嫌いだ。それが私が崇高して止まない胸とあれば特にね――」
客観的に見れば、酔狂な男の発言など気にしなければいい。ただ、もがく一パーセントの可能性が彼女自身を突き動かすように、その耳を立宮の許へ傾けた。
「奈月嬢。君のソレは偽物なのだろう?」
瞳の先、そこには豊かに佇む二つの――巨乳があった。
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