

第一話――とある昼下がり、絶対変態紳士の憂鬱
この学園にて、〝奈月彩華〟の名を知らない者は存在しない。
入学してから高校二年の今に至るまで、一度として学年一位の座から転落したことはなく。帰宅部であるはずの彼女に助っ人を頼んだ弱小ソフトボール部が優に地区予選を突破し。友人に描いてと頼まれた一枚の似顔絵が某省から表彰された。
品行方正で、教師からの信頼も厚い。
しかしそんな輝かしき才能の数々を大きく霞ませてしまうほどに、彼女は〝美人〟だった。
一たび、彼女と視線を交わせば男女問わず、数秒後には恋に落ちた。一たび、手と手が触れ合えば、忽ちに理性がなだれ落ちた。
打算もなく彼女に告白をした生徒は数知れず、一人としてその告白が成功した者はいなかったが、皆が皆、『彩華様と会話ができた』と惚気顔で口元を三日月型に歪ませながら帰路についたという。
身長は女性にしては高めの百六十後半台、筋肉の引き締まったスリムな体形ではあるが、程よく肉付きも良い。やや白みを帯びた紫色である白菫のロングヘアーは、姫カット気味に綺麗に切り揃えられている。
そして一番に目を引くのは、何と言ってもその胸だろう。
推定Hカップの美巨乳を揺らす完璧超人。
それが――奈月彩華だ。
§ § § § § § § § § §
夏休みをまじかに控えたとある昼下がりの教室。
立宮篤人はやや落ち込み気味に肩を竦ませながら教室の扉を開けた。その指は鼻筋に沿うように合わさり、何かをじっくりと思考しているようだった。
「お、立宮が帰って来たぞ」そう騒ぎ立てるのは彼の友人Aこと、竹口。短髪で、顔はやや整っている。性格はややヤンキー気質であり、彼女より友人を大事にするタイプだ。しかし立ち回りは主人公の友人キャラと言った感じで、一年の時の名簿番号が彼の一つ前という縁から立宮と仲良くしているようだった。
「それで告白はどうなった?」
イスに腰掛ける竹口は、近づく立宮に対して問う。
「ふむ。告白ではないのだが……しかし、どうやら誰も私の崇高な〝理念〟を理解してくれないらしい」
立宮の口調は学びを共にする友人らとは大きくかけ離れ、一言で表すのなら〝変わっている〟に尽きた。
本人曰く『上流家庭で育った末の産物』らしいがその真意は謎である。
そんな立宮をケラケラとせせら笑う友人Bの相田。デパートの一角でタンバリンの音を鳴らす猿のおもちゃの如く手をぱんぱんと叩きながら、上ずった声をやや荒い口調に乗せた。
「あっつんもほんまアホやなぁ。見てくれだけはええのに。それで相手は誰やったん?」
立宮篤人のことを『あっつん』と親し気に呼ぶ相田。身長は男性にしては小柄な百五十後半。野球部に所属しているという特別な事情もなく、その頭は綺麗な丸刈りだ。
竹口もまた口元まで出かかった笑いを抑えながら、相田の問いかけに答えた。
「五組の天野だってさ。これまた〝デカい〟のを選んだなぁ」
一体、ナニがデカいのやら。立宮の崇高な理念と密接に結びついたソレを竹口は思案し、「そう言えば、」と何かを思い出す。
「例の奈月、とうとう告白が千回を超えるらしいぜ」
「まじかよ。今日が二年の夏よなあ。てこたあ……登校日が……二百五十ぐらいやから。一日四回も告白されてんのか。こりゃ、たまげるなぁ」
指を折って、驚愕の事実に息を呑む相田。しばらくの沈黙後、相田はわざとらしく口元を歪めた。
「おいおいこの学園、全校生徒千人もいないよなあ? ちょっとおかしない?」
にやける相田に対し、竹口もまた笑いを堪えるよう上唇を噛み、鼻から嘲笑を漏らした。
「ふッ、馬鹿なことを。お前、六回も告白してるだろ」
「あっはっはっは。すまん言いたかっただけや。ちなお前は二回な」
教室にはそんな三バカトリオ、バカ担当の二人の笑い声がこだました。
「お前は何回や?」相田の視線は立宮へと向かい「巨乳好きのお前なら二桁くらいよゆー越してるんかねぇ。奈月って乳どちゃくそでけえし」そう問うた。
しかし立宮は当然だと主張するように相田の眉間に強い視線を送る。
「ゼロ回だ」
「いや冗談やろ」
あのあっつんが!?と言いたげに相田は眉をひそめる。
「相田、知ってるか? 俺も一年の時に同じ質問をしたんだが。どうもコイツは奈月のことがあまり好きじゃないらしい」
「は? まじか。あっつん、お前巨乳が好きやなかったんか?」
「無論、豊満こそ至高だ」
それは立宮の口癖にして、彼を構成する理念の一つである。しかしながら立宮は奈月のことを好まないらしい。過去に何かしらの因縁があったというわけでもなく、奈月が想像を絶する悪人で、その性格の一部を垣間見たというわけでもない。
「〝おっぱい星人の立宮篤人は超乳の奈月彩華に告白したことがない〟これは校内でも有名な七不思議の一つだぜ。相田」
「聞いたことねえよ」と相田はケタケタと下品な笑い声を発した。
「ちなみに〝奈月彩華は絶対に誰とも付き合わない〟ってのも七不思議の一つだ」
「せやな。あれくらい顔がよければ相手なんや選びたい放題やもんな。あっつんはどう思う?」
「さあ。私には関係のないことだ」
「はは。立宮らしい発言だな。っと――それより今はカノジョにご執心らしい」
竹口は立宮の視線の先を追っていく。その先はクラスでも指折りの美人、の隣で静かに読書をしている地味子、の胸だ。
「うせやん。地味子ちゃんかよ。いくらなんでもそりゃ――」
「おっと。いくら私の友人だろうと淑女を馬鹿にする発言は許せないね。それに彼女のソレは私の信仰する豊満そのものだ。たとえ全人類がカノジョに仇を成そうと、私はカノジョを守り抜くとこの命に代えて誓おう。人を値踏みするような発言はあまり好まないが、カノジョは万金にも値する。それだけの価値がカノジョにはあるということだよ、相田」
その声は決して大きいとは言えないが、教室に皆の視線を立宮に集中させるほどには響いていたようだった。当然、その中には地味子のものも含まれており、その顔は真っ赤に染まっていた。
「カノジョがページを一枚一枚捲るたびに強く締め付けられたカノジョの双丘が〝はやく私を解放してくれ〟と言わんばかりに揺れる。しかしその双丘は決して自己を主張しない。凛と読書を楽しむ見目麗しきその姿に、強い存在感を裏付けるのだ。そうそれは一枚の絵画だ。中心に立つのはあくまでも彼女。それは清らかな八面玲瓏で、決して官能性を表に出さない。まるでルノワールの描く裸婦像のよう――」
「なあ相田。次の授業ってなんだっけ?」
「何を言うてんや、タケ。次は移動教室で生物やろ。というか教科書ももう持ってるやないか」
「そうだな。さーて、そろそろ行くか」
「せやな」
せわしく教室を早歩きで去っていく竹口と相田。教室に残ったただ一人の立宮は、誰も居なくなった教室で静かに呟めいた。
「ふむ。どうやら私の崇高な理念は遠い道の先にあるらしい。もし神が私を阻むと言うのなら、せめて全力で立ち向かってみせるよ。無論、女神なら大歓迎だ」
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